教育は家庭と地域社会の協同作業に変わります

陰謀論

2023年7月28日更新

前回のブログで指摘しました「教育は家庭と地域社会の協同作業に変わります」をより詳細に説明させていただきます。

あくまでも、これは私の考えで確証は持てなく希望的観測なので参考程度にお聞き下さい。

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教育の目的とは

新時代は、洗脳を解かれた自由な社会です。

今までの社会は常識という規制に皆が従う洗脳奴隷社会で、より順応した人間が優秀な人材となり豊かな生活が補償されるシステムだったのです。

だから、親は子供の頃から良い大学に入らないと良い企業に就職できずに人生の負け組みになってしまうとか社会規範から外れると誰にも相手にされなくなり孤独になると恐怖を植えつけていました。

この基盤となっていたのが教育で、支配者の道具として十分に機能していたのです。

それでは、教育の目的が歴史と共にどのように変容してきたかを検証してみましょう。

日本では、教育基本法に定義されています。簡単に言えば、教育の究極の目的は「人格の完成」となります。

ところが、教育の目的は時代と共に変わります。

江戸時代は平和の時代で経済・生活活動が活発化したことで、商家だけでなく農家においても、商取引、土地売買、金銭貸借、家産相続など、トラブル防止のため文書による契約手続きが不可欠となり、その結果、江戸時代は、御家流の読み書きと算盤が必須の文字文化を前提とした社会となりました。

その一方で百姓町人に対して、町や村に居住し家族を養うため家を持ち自立を促す政策が幕府によって進められ、家を守り、永続させるためには子どもを一人前の成人に成育させ、立派な後継ぎにしなければならなく。かくして読み書き算用を習得させたいという庶民の教育熱が一気に高まり、寺子屋が津々浦々に誕生していきました。

幕府の支配は原則民事には介入しない。そのため寺子屋は、許認可の必要なく自由に誰でも開業できたのです。

つまり、騙されないよう又は不利益を被らないこと及び自立の永続性を目的としました。

明治維新後の日本は、欧米諸国が東アジアに勢力をのばしていることに危機感を強め、政府は「 富国強兵 」というスローガンを掲げ、 産業の発達と軍事力の強化を目指しました。

軍事力や経済力に優れた欧米諸国に対抗するため、経済を発展させて国を強くしよう と考えたのです。

国を強くするためには国民に教育を施すことが重要だと考え1872年 「学制」の公布、全国各地で小学校が造られ満6歳になった男女は小学校に通うことが義務付けられました。

つまり明治維新後の教育の目的は富国強兵で、そのために学校が始まったのです。

このことは、平和時と混乱期では教育の目的が変わることを示しています。

教育の危険性

このように教育の目的は、時代背景により変わり変化してきました。

教育の目的が「人格の完成」なら支配者側の都合で「人格の完成」をコントロールされてきたことになります。

私が一番に懸念しているのは、教育により子供達が時の支配者に都合のよいように洗脳されることで、自分で考え自己責任で行動できない人間になることです。

しかし、現実はお金の支配により洗脳されている教育者や親に育てられることで、子供も洗脳され競争社会の一員としての役割を担うことになり反発する子供達はヤンキーとかのレッテル貼りをされるのです。

崩壊している現在の教育制度

学校教育の矛盾が反映しているのが、増え続ける不登校の問題です。それでは不登校の子どもが、これだけ増えている背景を考えてみましょう。

いじめや学業不振などが不登校の理由にあげられるのですが、それ以外の原因を考察します。

①不登校の子どもの多くが、無理やり学校に連れていかれていましたたが、近年不登校の子どもを「このまま学校に行かせてしまうと、もっとひどいことになる」という認識が、学校や家庭の間で広がったことが理由としてあげられます。つまり、近年、「不登校」が、認知されてきたことです。
②「学校が息苦しい場所になってきている」ことです。もちろん通っている学校や担任の先生によって程度は異なりますが、年々学校の規範意識が強くなってきているように感じます。例えば「チャイ着運動」やクラスごとに「何グラム食べ残したか」を競う意味のない規範です。
③先生や保護者から見ると、「ある日突然学校に行けなくなった」と感じてしまいますが、子どもは人知れず、長い間苦しんできたというケースがほとんどで、私たち大人が思っているよりもっと大人のことをよく見ていて、できるだけ私たちを悲しませないようにしようとけなげにふるまうケースが多く、突然「学校に行きたくない」と言うのは、これまで積み重なってきたがまんが何かの拍子に爆発して、体がいうことを聞かなくなるからです。
④親の「教育」や「学校」に対する過剰な期待感や信頼も、目の前の子どもの様子を見えにくくさせている要因の一つです。
⑤「スクールカースト制度」によるいじめ問題は、あなたはあなたのままではいけない。ルールやきまりに『同調』するべきだという、とても高度なコミュニケーションが子どもの人間関係の「おきて」になり、結果としてうまく同調できる子どもは上位層に入り、同調できない子どもは下位層に押し込められるという、非常にいびつな環境で子どもが生きていることを、大人は認識しなければいけません。

このような状況を知ると、現在の子供達は無意識的に今の学校と呼ばれる環境を拒否し、不登校という行動で危険信号を大人に送っているのでないでしょうか。

まとめ:平和な時代の教育に戻る

それでは、どうしたらいいのでしょうか。

新時代はお金の支配から開放された平和で自由な時代になります。子供達も開放して自由にしてやるのです。

つまり、答えは原点に戻ることで平和の時代「縄文時代」、「江戸時代」に行われていた教育に戻ればいいだけです。

具体的には、江戸時代を参考して現代版の寺子屋制度を復活させればいいのです。

実務である読み書きそろばんを地域住民で運営する現代版の寺子屋で、その後は子供達の希望により専門性に特化した学校へ進学、スポーツや文化活動は寺子屋・学校とは違う別組織で運営するのが理想です。

そして教育で一番に重要なことは、二度と支配層に都合よい奴隷洗脳の教育に戻さない決意が必要です。

これから将来を担う子供達の自分で考える能力を伸ばしていかないと、また同じ道に戻る危険性があるからです。

生まれてきた幼児は言葉を知らないのに、両親の表情や感情を感じ取って自然と言葉を覚え、自ら話しだす。次に色々なことに興味を持ち「なぜなぜ星人」になり大人を困らせますが、そこでの回答は全回答するのではなく本人に考えさせる返答すれば記憶ではなく、自分で考え概念化する能力が高まり「自分で考える人間」に育つのです。

人は生まれた時から概念化する能力持って生まれてきている。その能力を伸ばす環境を提供し整備するだけいいのです。

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