2024年2月29日更新
北朝鮮は反日国家で日本に敵対心を持っていて、いつ攻めてくるか分からない。
と思っている方が大部分だと思います。
今回は、その常識を覆す情報です。
この情報は中丸薫の動画、佐藤守の本「金正日は日本人だった」、笹原さんのブログを参考にしております。
それでは私が今までに得た情報を元に北朝鮮の真実を展開してみます。
二回目は、朝鮮戦争が何故に起きた理由とその後の朝鮮人優遇施策について検証します。
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朝鮮戦争は日本を救うための戦争
朝鮮戦争は韓国大統領、李承晩が計画した日本侵攻作戦の野望を打ち砕くための戦争だったとしたら、皆さんは信じることができるでしょうか。
この時期の日本は、アメリカ軍の直接占領下で自前の軍隊を持っていませんでした。韓国の軍事侵攻に自力で対応する能力がないわけです。
また翌1951年には、サンフランシスコ講和会議が控えていました。この会議で講和条約が成立してしまえば、日本の独立が達成され九州や対馬などは正式に日本の領土となります。
このタイミングが、韓国が日本の領土をかすめ取る最後のチャンスというわけです。
李承晩は、そもそも朝鮮半島が日本の統治下にあったことに不満を覚え、韓国が日本を支配したいと思っていたそうです。
1950年の初頭、サンフランシスコ平和条約発効を控えた吉田茂首相のもとに、李承晩が日本侵攻作戦を計画しているとの情報が飛び込んできました。
その計画は、対馬・壱岐だけではなく九州及び種子島・屋久島までをも大韓民国の支配下に置こうという戦略で、李承晩はこの計画を実現するために、日本侵攻のための艦隊を釜山に集結させていました。
アメリカの力を借りようとしましたが、当時のアメリカはGHQ 内部で共産主義に毒された民生局と参謀Ⅱ部との主導権争いが行われており、意思統一ができなく動くことができない状況だったのです。
困った吉田は、かつての上司だった岸信介に相談します。岸は戦争時にA級戦犯被疑者として投獄されていましたが、処刑を免れ2年前の1948年に釈放となっていました。
しかし公職追放されていたため国会議員や官僚にはなれず、この時は在野で活動していましたが、当時の旧満州や朝鮮の残置諜者を統括するハンドラーの一人と言われたいた人物だったのです。
岸は早速、中国・朝鮮全域にちらばる残置諜者たちに行動を起こすよう指令を飛ばします。この呼びかけにいち早く答えたのが、北朝鮮の金日成・金策(畑中理)コンビです。
2人は、日本の窮地を救うため、韓国の背後から攻め込む計略を練りました。
しかし、韓国に向けて全軍を進撃させてしまっては、背後からソ連および中国に攻め込まれる恐れがあります。
金日成も金策もこの時点では、スターリンや毛沢東とのつながりは全くありません。
ここで金日成は金策から授けた一世一代のはったりをかまします。
スターリンには中国の毛沢東から了解を得ている。毛沢東にはソ連のスターリンから了解を得ていると大嘘をついて、結局、両者より中立を守る約束と軍事援助を得るのです。
1950年6月25日、10万を超える北朝鮮軍が38度線を越えて韓国領へと侵攻しました。
朝鮮戦争の始まりです。
韓国軍は、対馬侵攻のため、釜山に集結していましたので完全に虚を突かれた感じになり北朝鮮軍は破竹の進撃を続けます。
北朝鮮軍はソウルを占領し、一気に釜山に向けて進軍します。
この間、韓国駐留の国連軍は指をくわえてみているだけでしたが、アメリカが動き出して7万5千のアメリカ軍を投入後はアメリカが優勢となり、あっという間に朝鮮半島を制圧し朝鮮半島から北朝鮮軍を完全に追い出します。
しかし、ここで中国軍が義勇軍と名前を変えて参入してアメリカ軍を押し戻して、戦線は38度線付近で膠着状態になります。
結局韓国は、対馬侵攻どころではなくなり日本の領土は守られたのです。
延坪島砲撃事件も日本を守るため
これ以外にも北朝鮮は、裏から日本を守っていた事件があります。代表的な事件は、2010年11月13日に発生した延坪島砲撃事件です。
2010年10月20日、対馬侵攻を目指して韓国軍が釜山に軍を集結させいました。また、中国においても、人民解放軍が、瀋陽軍区の北朝鮮との国境地帯に、30万の軍を集結させます。
この様子を衛星から監視していた米軍から、日本政府に連絡が入りますが、当時の菅首相は何もしません。
自衛隊は、まったく動く様子のない菅直人首相、北沢俊美防衛相の指示を待たず独自の判断で日本海に部隊を展開、米軍が同地域に艦隊を派遣します。
日本海を挟んで、韓国・中国軍と自衛隊・米軍のにらみ合いが続いていると、何故か北朝鮮が動きます。11月23日、14時34分、北朝鮮は、韓国との国境沿いにある大延坪島に向けて170発の砲弾を発射します。
80発が島に命中、島に駐留していた韓国軍の陣地を火の海にします。
これを見て韓国軍は釜山に集結していた部隊を、引き返させ延坪島の防衛に当たらせます。
日本は朝鮮戦争に続き、またしても、まったく身動きできない状況での韓国の野望を北朝鮮によって、阻止してもらったわけです。
これによって、日本海をまたぐにらみ合いは終了し対馬侵攻の危機は回避されたというわけです。
朝鮮人優遇施策の真実
戦後の日本はアメリカの植民地となり裏から闇側の支配を受けることになります。
当然にアメリカの意向に従い北朝鮮とは正式な国交のない状態となり、正式な出入国も貿易もでき国となってしまいました。世界中の国々も同様で北朝鮮は鎖国状態をされてしまいます。これに対して、事情を知っている日本政府と日本企業は、アメリカの目をごまかし、ひそかに北朝鮮と人的、物的交流を行います。
一つが北朝鮮への帰国事業です。
北朝鮮への帰国事業は1959年に始まり1984年まで続きます。その間の帰国船は、赤十字の船だけではなく、多数の民間船や万景峰号などの北朝鮮船籍の船も含まれていました。
北朝鮮とは国交がなく貿易もないことになっていましたが、実はこれらの帰国船によって、事実上、北朝鮮と日本の間は、自由に出入国が可能であり、商品の持ち込みも持ち出しも自在に行われていたのです。
核開発に必要な機材も、帰国船に乗せて自由に持ち込まれ必要な技術者も日本からいくらでも補充できたというわけです。
北朝鮮に渡った多くの日本人は、もちろん、自らの意志で北朝鮮渡航を決意し北朝鮮の発展に尽くしていった人たちなのです。
さて、朝鮮戦争が日本を守る戦いであり、これによって、韓国の日本侵略が阻まれ、特需によって日本経済が復興したことはすでに述べました。
当然、日本はこれだけのことをやってくれた北朝鮮にお礼をすることになります。
それが、 人道援助という国家間の援助と日本国内の北朝鮮出身者に対する各種の優遇政策です。
①北朝鮮出身者は日本国籍は持ちませんが、特別な形の永住権が与えらました。
②原則として、生活保護が申請されると無条件に支給され国内での生活が保証された。
③朝鮮人を優遇した職業として「プロスポーツ、芸能界、パチンコ」を用意した。
当時のプロスポーツは、「プロレスと野球」だけです。芸能界は、北朝鮮出身者の歌手や、俳優・女優を事情を知っている電通の後押しによって活躍しました。
現在でも、歌手や俳優・女優やテレビ芸人のうち70~80%は朝鮮人であるのは、こういう事情があるからです。
パチンコは、日本国内で公然と行われているギャンブルで日本に残る北朝鮮人の生活の糧として割譲された分野です。警察も、この事情を知っていて賭博法に違反するシステムでありながら取り締まることはありません。
ところが、途中から韓国の背乗りが始まります。
北朝鮮と韓国は、同じ民族で同胞だ。どちらも元々日本の一部だったはずだ。北朝鮮に優遇措置を認めて韓国に認めないのは差別だという見解です。
真相を隠さなければならなかった日本政府は、有効な反論ができなく電通を乗っ取られた80年代からのマスコミ報道姿勢の転換によって、世論の後押しを受けた韓国は北朝鮮への優遇措置の半分をかすめ取ることに成功してしまいます。
さらに、中国もこの分野に割り込んできて、中国人にも生活保護が支給され、在日中国人がプロスポーツや芸能界で活躍するようになります。
結局、北朝鮮を支援するためのシステムは、韓国・中国の闇側の私腹を肥やさせる強奪システムへと変貌を遂げてしまったわけです
まとめ:戦争には本当の目的がある
朝鮮戦争は建国から2年しかたっていない国が隣国を侵略すること及び今までに深い関係もないソ連と中国を巻き込み博打並みの戦争に出ることは、国際常識からも異常な行動であったことが、日本を守るための戦争だったことを証明しているのではないでしょうか。
そして二度目の韓国による対馬侵略にも対応して日本を守ってくれた北朝鮮には感謝の気持ちしかありません。多分、これ以外にも裏で日本を守ってくれていたのでしょう。
この事実を知れば朝鮮人の優遇施策も理解できるし、その優遇施策をかすめ取る韓国・中国の闇側には怒りしかありません。ただし、だからと言って韓国・中国人を敵対してはいけないと思います。彼らも騙され日本人と敵対するように誘導されている人達だからです。
この偽りの社会が終われば、隣国である韓国・中国とは親密な関係を築けると思っています。
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