2025年11月1日更新
日本の教育現場では不登校問題が日常化しています。
その理由と解決策を、主要メディアで敎育専門家と言われる人達が論争しています。しかし学校に行きたいのに行けない子供には、確かに問題だけど、元々学校に行きたくない子供にとっては無理してまで学校に行かなくてはならないことが問題ではないでしょうか。
それは学校に行きたくない子供の選択肢が少ない現状があるからで、そこを解決すれば問題では無くなる気がしています。それでは検証してみましょう。
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教育は奴隷をつくるためのシステムだった
1800年代のアメリカは産業革命が起こるまで、ほとんどの地域は農村地帯であったため、多くの人々は家庭で教育を受けるか、教会が運営する学校に通っていました。つまり、工場で働くための知識や教育は受けていませんでした。
この時代背景もあって石油産業をほぼ独占していたロックフェラーは、石油精製工場で働く工員を教育する重要性に気づきます。
労働力を増やすためには、一度に多くの人を教育する方法が必要でした。しかし、知識は危険なものであるため、自分の下で働ける程度の教育はするが、野心や独立心が芽生えるような教育はしない、というのが目標でした。
ロックフェラーは教育分野に多額の資金を提供し、シカゴ大学やロックフェラー大学の設立を支援しました。また、1903年に「一般教育委員会(General Education Board)」を設立し、アメリカの教育改革に貢献しました。
彼はアメリカの公立学校制度のパイオニアであるとの評価もありますが、彼の真意は、ただ単に自分の工場で働く奴隷をつくるために財団を作り教育に力を入れたのではないでしょうか。
つまり、子供の人生の中で最も形成的な時期を、自分の思い通りの人間に育てるために費やすことができたのです。
日本にも同様な時代背景があって公共教育が誕生します。それは封建時代の幕藩体制から明治維新によって中央集権国家へ移行した時期です。
明治新政府の目的である欧米支配に屈せず自立した国家を目指すには、欧米に負けない強い国にする必要があり、そのための政策が富国強兵でした。その前提条件となったのが公共教育です。中央集権的な学校制度を確立し、まず速やかに兵士や労働者に適した青少年を育成する必要があったのです。
これは一つの洗脳であり青少年の奴隷化政策です。
目的と手段が混同してしまった現代教育
公教育の目的は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な資質を備えた国民を育成することです。具体的には、広い知識と教養、真理を求める態度、豊かな情操、道徳心、健康な身体を養うこと、個人の価値を尊重し能力を伸ばし自律の精神を育むこと、公共の精神や国際社会への貢献を重んじる態度を育むことなどが挙げられます。
しかし本来の目的は、子供達が人生で直面するあらゆる課題に対処できる力を身につけること、積極的な社会の一員として活き活きとした人生をおくれることではないでしょうか。
そのためには人間本来の持っている創造力を伸ばすことです。
創造力とは既存のアイデアや情報にとらわれず、柔軟な発想で新しいものを生み出す力のことです。既存の要素を組み合わせたり工夫を加えたりして、新たな価値や解決策を生み出すことも含みますが、無から有を作り出す力であることは確かで、社会の発展に貢献します。
また既存の概念や論調に疑問を持ち、自分の頭で考えて問題解決する力になります。
現代の教育に欠けているのが、この社会の発展に貢献すること、自分の頭で考えて問題解決する力であって、今の現実とはかけ離れています。
有名大学に進学する理由は学歴を高め一流企業に就職すること、企業間競争に勝つためには平気で嘘を広め相手企業を貶め行為、消費者が不利益を被っても企業が儲かればいいという企業論理等、数を上げればキリのないほどに社会が腐ってきています。
これも全て現代教育が作り上げたもので、人間社会を悪い方向へ向かわせています。
学歴や権威が無意味となる世界へ
学歴とはその人が学んだ知識の履歴ですが、社会的に役立たない学歴では意味がありません。権威とは人生の中で積み上げてきた功績によって形作らた信頼性であるはずですが、最近の権威は主要メディアが作り上げているとしか思えません。
特にテレビが作り上げた御用学者や専門家と言われる人達が、典型的な例だと思います。前回ブログ「参政党は日本で初めての市民政党です」で取り上げた武田の乱は、Xでも論争されました。その論争の中で武田先生は人格者だから神谷が嘘をついているはずだとポストされ、同様な意見が乱れ飛んでいました。私はこれを見て感じたことは、テレビでの発言・行動等だけで判断する浅はかは論理に呆れてしまいました。本物の学者は研究活動に忙しくテレビ等には出ませんから、テレビが取り上げて有名人になった武田という人物を私が信用していなかったという前提もありましたが、ブログを書くために拾い上げた情報からも武田が嘘をついていたのが明らかです。
もしかすると、今の世の中は平気で嘘をつける人が権威のある人なのかもしれません。
現在の社会は、この高学歴で権威のあると言われる人達の存在が危うい状況にあります。
平気で嘘を付く政治家、日本経済をダメにした財務官僚、ワクチン被害を隠蔽している厚生労働省、一流企業と呼ばれた大企業での40・50代のリストラ、高学歴者で占められた経営コンサルタント会社の倒産等、高学歴も権威も通用しない人々があぶり出されてきているとしか思えない情勢になってきました。
この傾向は加速するでしょう。何故かAIの進歩がより加速するからです。高学歴者とか権威者の持っている人達の知識等は、AIと比べると優位性がないからです。これからAIとプログラムで難解な事務処理も簡素化されるし、AIとロボットで3K労働も緩和されるし、そのような世の中になれば、口先だけで問題解決ができない高学歴者や権威者と呼ばれる人達は必要の無い人材となるからです。
不登校者とか、ニートと呼ばれた人達の中で、成功者と呼ばれる人達が増えたきました。どれも既存業界の中で、彼らの創造性を生かした発想でのし上がってきたのです。
この傾向は拡大するでしょう。何も新興勢力には限りません。既存の企業でも創造性を持った人材を活用しないことには企業再生が始まりません。
知識ではなく個人の経験と感性を高める敎育が必要となる
子供と関わった方は分かると思いますが、子供は広い場所に行くと何故か走り回ります、ごっこ遊びも得意です、大人には分からないルールを押し付けられ遊ぼうと言われ困ることもあります、おもちゃが無くても勝手にそのへんの物をおもちゃにして遊べます、どれも子供達に創造性があるからです。
ところが学校に行くと、その創造性が失われる結果となるのは自由を制限されるからではないでしょうか。
学校で教わることが全てで、それ以外は間違いと教わる。だから否定的な人間に育ち、新しく発生した問題には対応できない融通の効かない人間になってしまいます。
ならば、もっと自由を制限することはやめれば良いと思われますが、既存規模の学校では無理があります。やはり低学年中は小規模のフリースクール等で学び、高学年になってから自分の興味に応じて学校を選び通うことが最善かと思われます。
まずは小規模フリースクール等の自由な環境で創造性を開発してから専門敎育へ進むと、より前向きで素直に問題解決を取り組む人材になるでしょう。
まとめ:現代教育は終焉を向かえます
権力者の都合で始められた公共教育は、やっと終わりを向かえています。又は終わっています。
全国で不登校の児童生徒数は、2023年度に34万6,482人となり、11年連続で増加し過去最多を更新しました。また「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」の結果では、2024年度における小・中・高・特別支援学校でのいじめの認知件数は76万9022件(前年度比5.0%増)で、4年連続で増加して過去最多となっています。
10年以上も前から問題視されていた不登校・いじめの問題は拡大し続けている事実は、学校にも、教育委員会にも、日本政府にも、解決できないことが証明されています。
また教育の目的が、社会の発展に貢献すること、自分の頭で考えて問題解決する力を高めること、ではなく権力者にとって都合のよい洗脳され奴隷化した青少年を育成することであることは疑いのない事実で、現代社会の高学歴と権威主義が証明しています。
そのことに本能的に気づいた子供達は不登校になり、親の価値観で子供達に叱咤激励をしても子供達は言うことを聞くはずがありません。だって本能が働いているのだから・・・
それでは、どうしたらいいのでしょうか。
解決策は前回ブログ「教育は家庭と地域社会の協同作業に変わります 」で示したとおり原点に戻ることです。
新時代はお金の支配から開放された平和で自由な時代です。平和の時代「縄文時代」、「江戸時代」に行われていた教育に戻ればいいだけです。
具体的には、江戸時代を参考して現代版の寺子屋制度を復活させればいいのです。
実務である読み書きそろばんを地域住民で運営する現代版の寺子屋で、その後は子供達の希望により専門性に特化した学校へ進学、スポーツや文化活動は寺子屋・学校とは違う別組織で運営するのが理想です。
これからトランプ政権の情報開示によって、今まで高学歴で権力者と言われる政治家、官僚、有識者、大手企業のCEO等の人々がついていた嘘がバレてきます。
彼らは現代教育の先駆者であって、率先して洗脳され奴隷化した人達です。彼らがどれだけ無能な人材であったことが証明されれば、現代教育は終焉を向かえたことになります。


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